誕生日SS【三井寿/洋三】

 それは5月22日の、1週間ほど前のことだった。

「三井さんさ、誕生日どこ行きたい?」

 付き合って初めての誕生日を前に、俺は電話口の向こうにいる恋人にそう尋ねた。

 バイトに精を出してコツコツと金を貯めていたから、新しくできた水族館だろうが、デートスポットとして定番のテーマパークだろうが、最近話題のスイーツビュッフェなるものだろうが、三井さんからのリクエストならなんだってどんと来いという気持ちだった。

 けれど三井さんは電話口で「うーん」と悩んだ後、

「俺ん家にしねえ?」

 そう言った。

「ええ?」

 口から出た声は、おそらく中学時代からの悪友たちが聞いたら目を丸くするほどに間が抜けていたと思う。

 俺ん家、というのは三井さんがこの春から一人暮らしをしているアパートの一室のことだった。

 俺がその部屋に訪れるのが初めて、といえばまだ特別感もあるがそんなことはない。不慣れな大学生活にへとへとな三井さんが気がかりで、4月の間にすでに2回はお邪魔したし、なんならさらに遡って3月には引越しの手伝いだってした。

 なんで、と俺が聞くより先に三井さんの声が鼓膜を揺らす。

「おまえとずっとくっついてられるじゃん」

 うはは! と笑う声がやけにデカかったのは、照れ隠しだろうか。

 顔が見えないのも抱きしめられないのももどかしくって、俺は舌打ちすらしたい気持ちになりながら、「わかったオーケー三井さん家ね」と早口で了承したのだった。

・・・

 そうして迎えた5月22日。

 昼過ぎに三井さんの家に到着し、インターホンを鳴らせばバタバタと慌ただしい足音と共に勢いよく扉を開けて三井さんは俺を迎えてくれた。

「誕生日おめでと」

 俺が言うと、三井さんは「おう」と上がる口角を隠すことなく答えた。

 実は最寄りの駅に着くまでに、そして駅からこのアパートへ辿りつくまでに、決して人生で初めて口にするわけではないこの言葉を、俺が何度も口の中で転がして練習したのは内緒だ。

 二人で肩を並べてアパートを出て、デパ地下でちょっと良い総菜やなんかを買って、小洒落たケーキ屋で三井さんチョイスのいちごのケーキを買った。それからレンタルビデオ屋で「ケーキ持ってるから早く」なんて言いながら話題のアクション映画を借りて。

 そうしてアパートの扉を再び開ければ、三井さんご所望の「俺ん家でずっと水戸とくっついてられる」時間。

 総菜を並べる準備をする俺の背中に三井さんはひっついて、飯を食って、ときおり唇を重ねて。今度は俺が三井さんを後ろから抱きかかえてアクション映画を観て、また唇を重ねようとしたら爆音に遮られて二人して笑った。

 驚くほどに何もなくて、驚くほどに穏やかだった。

 気づけば日も落ちてきた。冷蔵庫に眠らせた誕生日といえばなアレをそろそろ食べてもいい頃だろう。

「三井さんケーキ食べる?」

 俺の膝の間に挟まって、それから俺の手をにぎにぎと触っている三井さんにそう声をかける。胸あたりにあった後頭部がくるりと向きを変えて「おー」と笑った顔がこちらを見上げた。

 待ってて、と三井さんから離れて勝手知ったるとばかりに最新型の冷蔵庫の扉を開ける。白い箱を取り出して、あまり使っている様子の無い台所の上で一度広げた。

「三井さん机の上ちょっと空けといて」

「やってらぃ」

「そりゃどーもね」

 くすくす笑いながら、丸いイチゴのケーキに、一緒に買った1と9のろうそくを立てる。尻のポケットをまさぐって――「あ」。

「三井さんごめん、火ぃ忘れちった」

「うはは。いーよガキじゃねえし……つか禁煙頑張ってんな」

「スポーツマンの彼氏ですから」

 俺の言葉に「んふ」とご満悦そうな三井さんがかわいい。

 ケーキを載せ直した蓋の開いた白い箱をバランスよく運んで机の上に置けば、19のろうそくを見てケタケタと笑った。「まるごといけっかなあ」と呟く様子に、あんた腹弱いんだから無茶すんなよとツッコみたくなる。

 が、俺の口は別の言葉を吐いていた。

「歌ってあげようか」

「え」

「ガキっぽくてやだ?」

「や、やじゃねえ」

 そう言いながら背筋を伸ばして座り直されて思わず苦笑する。申し出ておきながら言うのもなんだが、そんな期待されるほどの歌唱力は持っちゃいない。

「……はっぴばーすでー、とぅーゆー」

 三井さんが黙って静かになってしまった部屋に、そろりそろりと歌いはじめた俺の声が響く。期待と戸惑いで引き結ばれていた三井さんの口元がふっと緩むのと同時に、部屋に漂っていた妙な緊張も解けて、俺も俺で照れくさくて、少し笑ってしまう。

「はっぴばーすでー とぅーゆー」

 三井さんさあ、誕生日なのにホントにどっこも行かなくてよかったわけ。総菜を買ってるときも、映画を観ているときも、何度か聞こうと思っては飲み込んだ。

 それは聞いてはいけないことだったからではなくて。

 今日を一緒に過ごす中で、「水戸」って俺を呼ぶ声の甘さとか、隙間なくくっついてくる様子とか、目があってはとろけそうなはちみつ色の瞳とか、そういう三井さんの全部全部が「俺を好き」と伝えてくれたから。

 この人まじで、俺と一緒にいたかったんだなって。

 まじでそれだけを望んでくれてたんだなって気づいたからだった。

「はっぴばーすでー でぃあ――」

 ほんとにさあ。あんたの誕生日なのにさ、俺のが幸せもらっちゃってどうすんだろうね。

「――寿さん」

 だから俺もちゃんと返すね。あんたがくれた好きも、幸せも。

「はっぴばーすでーとぅーゆー」

 歌い終わってからそっと伺い見れば、向かいに座る三井さんは正しい姿勢のまんま、口だけあんぐり開けていた。おーい、と顔の前で手をふってやると、少ししてようやくいろんなものに気づいたらしく、「お、おまえ!」と勢いよく俺を指さす。

「この……カッコつけめ!」

「あっはっは! 真っ赤だよ、寿さん!」

 それはそれは分かりやすく耳まで朱色にしてくれる目の前の恋人が、おかしくって愛しくって――ああこの人の誕生日を一番近くで祝えて良かったなあと、俺は心の底からそう思ったんだ。

 

 この後、俺は「ちなみにね」と鞄の中から取り出した手のひらより少し大きい、赤いチェックの包装紙で角までキッチリ包まれた箱を三井さんの前へと差し出した。

 俺とその箱をしばらく交互に見ていた三井さんが、それが俺からの誕生日プレゼントだと気づいたとき、真面目な顔をして「……もらいすぎじゃね?」なんて言うもんだから、俺は数倍大真面目に「んなこたねーだろ」と返したのだった。

 

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