カワイイ人【洋三】

 三井さんはかわいい人だ。

 まず、真っ赤な顔で俺に告白をしてきたのがもうかわいい。
 一時期グレていた顔の良いバスケット部の男はそこそこ有名で、そんな人間が1年の教室にやってきたかと思えば不良の俺に「放課後、屋上来いよ」なんて言うもんだから、こりゃ喧嘩のお誘いかと教室中がヒリついたのに。

 蓋を……いや屋上の扉を開けてみれば、その音に盛大に肩を跳ねさせる三井さんがいて、その慌てっぷりに分かりきってはいたが絶対喧嘩じゃねぇわと確信した。

 目は合わないわ耳まで真っ赤だわ、あーだのうーだの、ホントに18歳かよと思うような解読不能な言葉を口から発したあと、意を決したように凛々しい眉を吊り上げて「お前が好き」と言った。

 「……嫌じゃなかったら、付き合ってほしい」なんて、俺よりタッパがあるくせにその器用な、甘えるような目はいったい何なんだと聞きたくなった。

 けれどそのとき、かわいいと思ってしまったのだ。もう俺の答えは決まっていた。

 次に、初心なのがかわいい。

 手を繋ごうものなら「だあ!」と驚いて「待て!」と一生懸命手汗を拭うし、ハグしてやれば筋肉の盛り上がりが伝わるくらいに全身に力が入る。

 初めてキスをしたのは帰り道のコンビニ。駐車場でひとやすみしながらくだらない話で盛り上がっていた三井さんの口の端に、肉まんの欠片がついていた。「ついてるよ」と拭ってやると、指の先が三井さんの唇に触れた。

 ふに、と、それまでに触れたこの人の体でたぶん一番柔らかかったであろう感触に、魔が差した。

 俺が飲んでたコーヒーの苦味と件の肉まんの味が混ざって、なんともいえない味だった。

 ファーストキスはレモン味にしてやりたかったな、と少しだけ申し訳なく思いながら触れただけの唇を離して目を開けると、目の前の三井さんは瞬きひとつどころか身じろぎひとつせず固まっていた。
 様子を伺っているうちにゆっくりとさまよい始めた瞳が俺の唇を捉えて、今しがた起きたことをようやく理解したのか、突然時が動き出したようにボンッ! と一気に茹でダコみたいに真っ赤になった。

 見ているだけで飽きないその人がいつまでも俺の唇を凝視するもんだから、ちょっとばかし意地悪をしたくなるのも仕方がないことだと思う。

「そんなに見ないでよ、えっち」

「なっ……!」

 ちがうとか、おまえが急にとか、真っ赤な顔のままぎゃんぎゃんと抗議する姿に笑いを堪えながら、そっと顎に手を添える。

 びく、と肩を揺らした三井さんに目を合わせてお伺いを立てれば、意図を上手にくみ取ってくれたようで先ほどまで忙しく動いていた口がおとなしくなった。そういうところが愛らしい。

「三井さん。キスのときはね、目ぇ閉じんだよ」

 顔を近づけてそう言えば、皺が寄るくらいに力いっぱいぎゅーっと目を瞑ってくれるもんだから、本当に、本当にかわいくて。にやけた顔を見られないことに安心しながらもう一度口づけた。

 あんなに甘いとは程遠い味のファーストキスだったのに。
 よほどお気に召したのか、その日から三井さんはキスをおねだりするようになった。

 昼休みの屋上で。あるいは体育館裏で。あるいは別れ際に。2人きりのときにじっと俺を見つめて、物欲しげな顔をするのだ。

 俺はほとほとその顔に弱い。

 いつもはやかましい口を引き結び、いつか初めてかわいいと思ったあのときと同じく甘えるように俺を覗き込み、そしてその瞳には期待を宿して。

 「キスして」って言わせてみたいのに、俺はついつい、仕方ないなぁとむしろこちらから顔を寄せてしまうのだ。

 ちゅ、と触れるだけのキス。柔らかく目を閉じるようになったくせ、いつまでも固い唇。そこをこじ開けて奥に隠れている赤く熱い舌を絡めとりたい欲が沸きあがるけれど、俺はいつも、三井さんの手を強く握ることで理性ごと繋ぎ止めている。

 俺より少し遅れておずおずと瞼を上げる三井さんと、ぱち、と視線が絡むのは一瞬だけ。

 恥ずかしいのだろうすぐにそっぽを向かれてしまうのだけれど、それでもしっかりと繋がれたままの手が、眺めているうちにじわりと赤く染まっていく耳の先が、全身で俺を好きだと言ってくれているようでいつだってたまらない気持ちになる。

 もうそろそろ進んでもいいかな。まだ早ぇかな。怖がらせたくないのは、大事に大事にしたいから。

 俺、すげぇ我慢してんだよ。してたのに。なのにさ。

 セーテンのヘキレキというんだろうか。部活終わりの三井さんと肩を並べて、他愛もない話をして笑い合う、いつもの帰り道だった。別れ道にさしかかったときに「水戸」と俺を呼ぶ甘さを含んだ声はいつものおねだりを予感させた。

 上がりそうになる口角を抑え込みながら「なあに」って振り向いたら、もうすでに三井さんの顔が目の前にあった。

 唇に、柔らかくて温かい感触。驚いて見開いたままの瞳が捉えた、至近距離で目を閉じている三井さん。

 三井さんにキスされてる。そう気がついて、心臓がド派手に跳ねた。

 ドク、ドク、と強く脈打つ鼓動の音を2回聞いて、それでも唇は触れ合ったまま。それどころかさらに押し当てられて鼓動がまた3回、4回。あれ、これどっちの音だ?

 三井さんからの初めてのキスに浮き立つ心と、いつもより長い口づけに混乱する頭。そして暴れる心臓の音に気を取られているうちに三井さんの唇がわずかに動くのを感じて――一瞬だけ、これまでとはまったく違う熱が俺の唇をつついた。

 あ、と思った次の瞬間には三井さんの顔が離れていく。

 俺はその口元に釘付けのまま、いつもキスをするときには引き結ばれているはずのふっくらとした唇に隙間が開いているのを、そして赤く濡れた舌がいたずらを隠すように奥に引っ込んでいく様子をただ眺めていた。

 瞼を上げた三井さんと目が合う。いつかの誰かさんみたいに瞬きも忘れて呆然とする俺の様子に、「あら」と驚き混じりの小さな呟きを零して、それから自分のわずかに濡れた唇をそっとつまむように指で触れながら、三井さんは言った。

「目ぇ閉じなきゃだろ。すけべ」

 血色の良いそれがゆっくりと弧を描くさまに脳味噌がゆれる感覚がして、ああこれがくらくらするということか、と遠くで思った。

 三井さんはかわいい人だ。それは嘘じゃない。けれどじゃあ、俺は三井さんがかわいいから好きになったのだろうか。

 大胆不敵ともいえる笑みが、あの熱い夏を思い出させた。

 最強と呼ばれるチームを前に立っているのもやっとに見えた背番号14。

 それでもなお、腕を伸ばしてボールを放つ美しいシュートフォーム。誰もが息を呑むあの瞬間も、そしてリングに吸い込まれたボールに会場中が一瞬で熱狂に沸いたあの瞬間も、その中心にいた人。

 ふらふらとした足取りは危うげで、だから相手との接触で床に倒れた時には一瞬ヒヤリとしたけれど、審判の口にした「ファウル」にそれすら計算づくだったと気づかされて「すげぇ」も「マジかよ」も言葉にならず、ただ気の抜けた笑いが漏れた。

 限界をとっくに超えている背中を、目で追うことをやめられなかったあの夏。

 三井さんに屋上で告白をされるよりもずっと前から、俺はとっくに、この底の知れない男に心奪われていたのだ。

「いつもドキドキさせられっぱなしだからよ。仕返し」

 うはは、と屈託なく笑う表情も言っていることもかわいいはずなのに、俺はいつもみたいにそれを微笑ましく思うことなんてできない。

 まんまとドキドキさせられて悔しい気持ちと、今までの俺の我慢も知らないでなんてガキみたいな言い分が心に渦を巻いて、キッと睨みつけるように眉間に皺を寄せた。

「三井さんっ」

 手を掴んだのはただ目の前の人を引き留めて引き寄せる為だけで、余裕も理性も気づけば遥か彼方だ。アンタが全部吹き飛ばしちまったから。

 ああくそ。

 心の中で舌打ちをする。俺から言う予定なんてなかったのに。

「キスさせて」

 おねだりなんて生易しいものじゃなく、もはや懇願。かっこ悪くて仕方ないのに、そんな俺を見て三井さんは二、三度瞬きをしてから、それはそれは満足そうに目を細めた。

「かわいー奴」

 どうやら俺はとんでもない人を好きになってしまったらしい。わずかに開けられた唇に誘われるまま自分のそれを寄せて、触れる直前、

「もう遠慮してやんねえからな」

 そう告げたのはせめてもの悪あがきだった。

 

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