外から聞こえた原付の音で目が覚めた。
ぼんやりした頭がたっぷりと時間をかけてから、その音が新聞配達のものだと答えを出した。カーテンの向こうはとっぷり暗くて、朝日が昇るまでには余裕がありそうだ。
おそらく、まだまだ二度寝のできる時間。まちがいなく瞼は重たいけれど、俺はそれに逆らってみる。すぐに目を閉じてしまうのをもったいないと思う理由は、目の前にあった。
視界に映るのは、同じベッドでご丁寧にこちらを向いて眠る2つ上の恋人の寝顔。
すうすうと聞こえる規則正しい寝息に、自分のように原付の音に眠りを妨げられたわけではないことが分かって安堵する。
これから2人で暮らすマンションに越してきて、初めての夜だった。
開けなければいけない段ボールの山もほっぽったまんま、なだれ込むように2人してベッドに倒れた結果、少しばかり――いや、たぶんけっこう無理をさせてしまった。だからゆっくりと眠らせてやりたかった。
2つ上のわりにあどけないその寝顔のひとつひとつをなぞるように眺める。
形の良い額。喜怒哀楽を豊かに表す眉。二重の瞼。通った鼻筋と、厚みのある唇。
綺麗な顔だと思う。美人は三日で飽きる、というが果たして本当だろうか。
考えて、そういえば過去に関係のあったオネーサンたちも整った顔立ちをしていたことを思い出した。けれどたしかに、数度会った後は顔なんて見ていなかった気がする。今ではもう、どんな顔をしていたか思い出すことはできない。
じゃあこの人が――三井さんが特別なんだろう。
その眉が跳ねれば嬉しいし、下がれば悲しくて、文字通り小鼻を膨らませて怒るのはかわいくて、口元は派手に開いたり誘惑するように弧を描いたり。
はちみつ色した瞳に光が差すたび、俺の心臓は一際大きく鳴る。付き合い始めてからもう何年も経つのに、いつだって俺は三井さんを見逃せないでいる。
ゆるく開いた三井さんの口元から垂れたよだれが枕に沁みを作るのを見て、頬が緩んだ。
美人が何日で飽きるかは不明だが、三井さんに関してはこれからも飽きる気がしない。
俺たちの間にわずかに開いた隙間を埋めたくて、ずり、とベッドの中を滑るように動く。起こさないように、できるだけ慎重に。もぞもぞともどかしいその動きがなんだか不格好で我ながら可笑しかった。
近づいたスポーツマンらしく引き締まった身体の胸元に、擦り付けるように額を寄せる。とくとく聞こえる三井さんの心臓の音と、かすかに額に伝わる熱が心地良い。
今まで付き合ってきた誰にも、こんなことしたことがなかった。ベッドの中で身を寄せ合って眠るなんて、ドラマのラブシーンだけだろうと思っていた。
ただその温もりに触れたいだけ。そんな瞬間があることを、この人と付き合ってから初めて知った。
「好きだなあ」
自分の口からぽろりと零れた言葉に、はっとして顔を上げる。案の定、三井さんの眉が一瞬寄って、しまった、と思う間にゆっくりと瞼が開く。
「みと」
はちみつ色の瞳がとろけたまま、胸元に潜り込んでいる俺を見下ろした。
「ごめん、起こしちゃった……?」
せっかく原付の音も気にせず眠っていたのに。
完全に自分の気持ちを優先して三井さんを起こしてしまったことに罪悪感が募る。見上げる俺の瞳をとらえて、三井さんは「んん」と返事とは思えない言葉を口にしながら「いまなんじ」と舌足らずに聞いた。
枕元に置いたデジタル時計を見上げる。
「4時すぎ……かな」
「そっか。じゃー、まだねれるな」
そう言って、三井さんの手がベッドの中で何かを探すように動いた。
やがてその手は俺の手に触れて、そして「ここ」と三井さんの身体に乗せるように引っ張られた。抱きしめろということだろうか。
少し腕を伸ばして三井さんの背中に腕を回す。
満足げに口角を上げて、さらに三井さんは足を絡めた。ぐっと距離が縮まる。長い腕が俺に巻き付いて、先ほどの額だけのときとは比べ物にならないほど、三井さんの温もりにまるごと包まれる。
こんな体勢、苦しくて、寝づらいに決まっているのに。
それでも俺はその温もりをひとつも逃がしたくなくて、ぎゅう、とさらに身を寄せた。
つむじに何かが触れるのを感じる。俺の後頭部に回っている三井さんの手にわずかに力がこもって、ああきっと、三井さんが顔を寄せているのだと思った。
「あー」
頭の上で三井さんの声が響く。
――しあわせ。
さっきの俺みたいに、零れ出たようなその言葉が頭のてっぺんから俺の中に溶けていく。
「うん」
夢うつつだけど、夢じゃない。ドラマみたいに甘いけど、ドラマじゃない。こんな日々がこれからも続くのかと思えば、それはもう胸がいっぱいで、
「俺も。すっげー幸せ」
そう言葉にせずにはいられなかった。
さて、朝飯は何を作ったら100点の笑顔を引き出せるだろうか。
再び耳に届いた寝息はどんな子守唄よりやさしくて、この部屋で三井さんと迎える初めての朝に思いを馳せながら俺もそっと瞼を下ろした。
